南京大虐殺は、上海戦から蒋介石と宋美齢を支援していたまったくのアメリカの反日プロパガンダです。1937年当時、蒋介石側についていたアメリカのジャーナリストや宣教師らによってでっち上げられ(当時は4万人の遺体数と言われていたが、実際は1万程度でほとんどが支那兵の遺体)、さらに戦後、アメリカ指導の極東軍事裁判で、中華民国は、法外な遺体数を記録した新たな遺体埋葬報告を作り証拠として提出し、原爆よりも多いい、膨れ上がりました。
実は、支那兵は、12月の南京戦前の9月から、南京で市民を漢奸狩りとして2000人ほど市民を虐殺をしており、さらには、日本軍が南京の城跡都市に入り込む13日の直前の12日の夜、支那軍の唐生智が逃げるやいなや、残された兵士と、
欧米人の目撃
戦後、戦勝国裁判、東京裁判で持ち出され、それまで欧米人から4万人が埋葬されたとう
、膨大な遺体数が書かれた